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No.2 バンコクに降り立つとタニヤの用心棒という仕事を得た

バンコク・タニヤ

若いころに前科が有るYさんです。Yさんは九州地方に生まれました。若い頃からやんちゃで、中学二年で学校をやめてしまいました。そして筑豊炭鉱へ働きに出ます。

15歳でいきなり働きに出ていますので、血気盛んな状態です。それでも炭鉱の1日12時間労働という過酷な状況でも、めげずに頑張りました。

Yさんが炭鉱で任された仕事は竿取りという仕事でした。坑内で採取された石炭を載せたトロッコを操車する仕事です。炭鉱の深さは1,700㍍にも及び、そこに毎日、弁当と薬を持って降ります。

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若いころのやんちゃな経験がバンコクのタニヤで役に立つ

1日の半分を坑内で過ごしますので、地上へ上がってくる時は体中が真っ黒になっていました。作業服は1日着るだけでダメになってしまいますので、毎日支給されました。

終戦からわずか数年の貧しい時代です。しかし炭鉱には別世界がありました。「当時は飯を食うのも大変な時代でした。でも炭鉱では好きなだけご飯を食べられました。飲み食いする場所から、映画館まで全て炭鉱会社が経営していましたので、どこでもツケで遊べましたよ」

初体験は、炭鉱で働き始めてしばらくしてからでした。炭鉱ではYさんは皆の子供のように扱われていましたので、いつも誰かに連れて歩かれていました。

筑豊炭鉱

ある時、親代わりのような親方が怪しげな雰囲気のお店に案内してくれました。そのお店から出てきた女性をYさんは今でも忘れられないといいます。

転機が訪れたのは18歳の時でした。炭鉱に来て3年が経過し、仕事や生活になれた頃、やむを得ない喧嘩に巻き込まれ、人を刺してしまいました。刺された側は重体になったそうです。

その後は少年院で過ごし、少年院を出所すると炭鉱に戻りました。炭鉱の皆はYさんがやむを得ない事情だったのを知っていましたので、暖かく迎えました。その後、炭鉱が下火になり、25歳の時に大阪へ出ました。

大手企業の建設関係で働き、27歳で結婚し、子供を授かりました。幸せの絶頂を迎えている時、乳飲み子を置いて最愛の妻が亡くなりました。残された赤ん坊は親戚が引き取り、Yさんは一度も会っていません。

Yさんは妻を深く愛していましたので、妻が亡くなった時は生きる気力を失いました。何をやっても呆然としてしまい、立ち直るのに数年かかったそうです。

紆余曲折があり、彼は台湾へ行くことになります。台湾では台北に有るお寺で番兵をしていたそうです。日本と台湾を行き来する生活を続け、還暦を過ぎて日本に戻り落ち着こうと思いました。

日本に戻ると唯一の家族であるお姉さんに連絡を取ろうとしました。姉に電化製品を送りましたが、いつまで経っても返事がありません。おかしいと思っていた所に、甥から連絡があり、数ヶ月前に亡くなっていることを知ります。

Yさんには身内がいなくなり、息子とも音信不通です。日本での居場所を失ってしまったので、再び海外で暮らすことを決意します。

バンコク・タニヤ

Yさんの行き先はタイでした。タイではまずバンコクに降り立ちました。向かった先は多くの日本人男性が一度は訪れるタニヤです。このタニヤでYさんは店の用心棒という仕事を得ました。

Yさんは身長160cmとかなり小柄ですが、炭鉱で働いてきただけあって頑丈な体をしています。しかもやんちゃな時代もありましたし、炭鉱での揉め事もくぐっています。

台湾でもそれなりの経験がありましたので、東南アジアきっての歓楽街のタニヤの用心棒が務まるほどでした。

続く

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