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第三話 仕事ばかりではなく老後ぐらいは自分中心の生活を送りたい

チェンライ・タイ

奥さんは旦那さんと20歳の時に知り合いました。旦那さんは1歳年上でした。二人を結びつけたのは「結核」でした。東京で生まれた旦那さんは高校を卒業後、都内の機械工具のメーカーで営業マンとして勤務していました。

仕事は出張がとても多く、体力的にはかなり厳しい環境下でした。就職して2年目に、出張先の名古屋から新幹線で東京へ帰る際に車中で倒れてしまいました。急きょ、東京の多摩にあった療養施設に入院し、そこで奥さんと会いました。

奥さんは北海道から上京して、ファッションモデルとして働いていました。今は”モデル”と言われる人は沢山いて、首をかしげるような体形や顔でもモデルをやっていますが、昔は本当に美しい人がモデルをしていました。

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仕事一筋で迎える定年は空虚なモノであってはならない

ファッションモデルとして奥さんは活躍していましたので、多くの人から誘いを受け、食事や飲み会、ディスコなどで遊んでいました。結核に襲われたのは、こういった不摂生な生活が原因でした。

しかも結核でも重病とされる、粟粒結核と言われるモノで、一時は生死をさまようほどでした。幸いにも、奥さんは2年間の療養生活を経て退院しました。北海道に戻った奥さんの元に、旦那さんから頻繁に手紙が届きました。

その後二人は旦那さんの退院を待って結婚しました。そして3人の子供をもうけ、夫婦は最初の移住を決断しました。行先は奥さんの出身地である北海道でした。

旦那さんが35歳の時に北海道に移住し、病院事務の仕事に就きました。以降、慣れない土地で仕事一筋の人生を送ることになりました。職場で経験を積むと、旦那さんは院長の側近と言う立場まで出世し、やりがいのある仕事を沢山任せられるようになりました。

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しかし、忙しさは尋常ではなく、自分の時間が全く持てませんでした。どんどん成長していく子供たちと遊ぶ時間が殆どありませんでした。その結果、次第にストレスが溜まり、胃潰瘍を発症してしまいました。

「せめて、せめて老後ぐらいは自分のために生きたい…」

旦那さんが漠然;と海外移住を考え始めたのは、40代後半の時でした。父親は戦争中に満州で実業家として成功していました。彼自身は海外で生活したことはなかったのですが、子供の時に父から海外の話を聞いてました。

そんなこともアジアを、タイを身近に感じさせていたのかも知れません。やがて50代を超えて、定年へのカウントダウンが始まると、海外移住への思いは更に強くなっていきました。

続く

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