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第二話 余命半年と宣告されても日本人嫁は何もしなかった

彼がタイで駐在していた1955年ごろのバンコクは、近代から遠く隔たった街でもありました。今でこそバンコクの渋滞は世界的に有名ですが、当時、街には車はほとんど見かけなかったそうです。
 
社用車で移動していますと、目的地に到着するまで下手すると一台の車ともすれちがわないこともしばしばありました。エアコンなどあろうはずもなく、眠れない日々が続いたこともありました。
 
そんなとき開け放たれた軒先にでて眠っていますと、今度は科の大群に襲撃されました。彼は極楽と地獄が同居していた当時を懐かしく思うことがよくあるそうです。
 
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余命半年の体を薬漬けから解放し、徹底的に楽しむ

 
彼はやり手なビジネスマンでしたので、タイから帰国すと独立しました。コンサルタント会社を立ち上げて、複数の会社の役員を兼任するほど、仕事に充実した日々を過ごしていました。
 
しかし、彼は55歳の時に大病を患い、リタイアしました。彼の病気は悪性のがんと言われました。長く持っても半年と診断され、医者も彼を見はなすほどでした。
 
彼は最初の奥さんを病気で亡くした後に、名門出身の女性と上司の紹介で再婚しました。この時代、愛情は後からついてくるものと割り切り、よく知らない相手と見合いをして結婚するのは珍しくありませんでした。
 
バンコク
 
彼も上司の紹介なので断ることも出来ず結婚したものの、結婚当初から農家の出身の彼のことを妻は見下した態度をとりました。この妻の態度から、この結婚は失敗だったと感じていました。
 
彼が勤務先である東京で闘病生活をしている間、奥さんは実家のある関西から一切動かず、彼の力にもならず放ったらかしでした。死を覚悟した彼の頭をよぎったのは、戦争で亡くなったクラスメイト達の姿でした。
 
生きていれば自分よりも遥かに価値のある仕事をしていたであろう仲間たちが若くして死んでいきました。自分も戦争が長引けば、宮崎で玉砕される身でした。ここまで生きてきたのは余生みたいなものでした。
 
そう思った時、彼は病気でしたが医者との縁を切りました。痛み止めをはじめとして、飲んでいた大量の薬を全てやめました。そして、命燃え尽きるその日まで、大好きななゴルフを楽しもうと気持ちを切り替えました。
 
続く
 

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