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タイ政府が観光資源と夜の街をセットで販売した国策は今後も続く

バンコクに住む日本人詐欺師

観光大国と言えばフランスを真っ先に思い浮かべますが、タイも負けてはいません。タイで外国人が落としていくお金は1兆円以上です。タイのGDPは38兆円ほどですので、外国人がタイに落とすお金がいかに大きいかわかります。
 
1兆円以上の外貨が毎年、自動的に入ってくるタイですが、1兆円のうち25%は夜の街からの売り上げです。タイは観光立国であると同時に巨大な夜の街を形成する国でもあります。
 
タイを代表する大通りはシーロムやスリウォン通りです。この二本の通りには、はしごを書けるようにバンコク最大の夜の街であるパッポンがあります。一時期ほどやりたい放題感は無くなっていますが、まだまだ健在です。
 
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国策による夜の街づくりは大成功

 
19869年の時点では通りに数軒しかなかったバーは、1970年代終わりには100軒を超え、今では周辺の通りの店を合わせると1,000軒は軽く超えると言われています。
 
実は東京の繁華街もハンパではなく、新宿歌舞伎町当たりであれば一晩に30億円以上は軽く動くと言われています。金額では歌舞伎町の方が大きいかも知れませんが、スケール感などではパッポンの方が上かも知れません。
 
パッポンは歌舞伎町よりも圧倒的なエネルギーがあり、恐ろしく国際色が豊かな街です。ここは本当にアジアなのかと思えるほど、いろんな国の人間が歩いています。
 
また、バンコクにはこういった感じのストリートが沢山あり、どこも活況を呈しています。このバンコクの夜の街の発展は、実は国策が絡んでいます。
 
タイのパッポン
 
タイに夜の街が根付いたのは1967年に始まったベトナム戦争の影響があります。バンコクから150キロほど離れたばしょにあるパタヤが、米軍の休憩娯楽地に指定されました。
 
休憩娯楽地と言えば聞こえはいいですが、要するに夜の街です。ベトナム戦争での緊張感や心の傷を解き放つために、米軍はパタヤで米兵を休憩させました。男ばかりの米兵に必要なのは酒と夜の歓楽街です。
 
ベトナムから休養に来た米兵が落としていった金の総額は80億円と言われています。これは当時のタイのGDPからすればとんでもない金額です。当時のタイのコメの輸出総額の25%を米兵が落としていったのです。
 
ベトナム戦争がピークを迎える1970年代半ばには、夜の街は2万件以上に膨れ上がりました。しかし、ベトナム戦争が集結すると米軍が撤退し、夜の街は大打撃を受けます。
 
この打撃を埋め合わせるために、官民が一体となって観光客の誘致合戦が始まったのです。昼間の観光はもちろん、ゴルフ場も次々作り、夜の街とパックでタイの旅行パックを販売しました。
 
農業立国であったタイですが、1980年代前半にはコメ生産による総販売額を観光による売り上げが抜きました。その後、いろんな病気が蔓延したり問題を抱えていますが、今も同じモデルでタイ政府は観光立国として君臨しています。
 

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